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| 日 時 |
2006年4月4日〜4月6日 |
| 場 所 |
フィリピン共和国
レイテ島南レイテ州セントバーナード町ギンサウゴン(崩落現場)
セントバーナードクリストレイ高校(避難所)
セントバーナード町役場(行政機関)
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| 参加者 |
中野秀一、田中孝和、渡部彰(国境なき奉仕支援委員会)
酒井一(BRA渉外担当理事)
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| 作成者 |
渡部彰 |
【目 的】
| 思いやりの心を持った支援活動計画の策定における被災現場・避難地・被災者救援活動の実態と今後の復興の計画とBRAの活動計画との整合性を図るため被災国行政機関・国連・現地NGOの取組みについて調査する。 |
【実施プログラム】
@
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ギンサウゴン村の崩落現場の状況の確認
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| A |
マガタス村周辺(危険地区に指定され集団移転する地すべり周辺の村)の視察 |
| B |
カットン村(集団移転の予定候補地のひとつ)の視察 |
| C |
クリストレイ高校(ギンサウゴン村の生存者が避難している)の視察・交流 |
| D |
UCCP教会の取組み(こころのケアーセンターになる教会建築を提案している)の確認 |
| E |
行政機関・国連・現地NGOの取組みの視察 |
| F |
全行程での安全性の確認 |
| G |
BRAが支援を行う場合の拠点の検討 |
【行 程】
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日程
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都市
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交通機関 / 時間
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スケジュール
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1
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関西空港 発
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PR407
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9:55
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※空路にて、セブ島へ
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マニラ国際空港 着
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12:55
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4月4日
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マニラ国際空港 発
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PR849
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15:00
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セブ国際空港 着
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16:15
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車両
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到着後送迎者でホテルへ
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19:00
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ホテルで食事&ミーティング
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ウォーターフロントセブシティーホテル【泊】
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2
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5:00
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起床
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セブ港 発
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高速船
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6:00
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高速船スーパーキャットでレイテ島オルモック港へ
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オルモック港 着
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車両
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8:00
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レンタカーでレイテ島ギンサウゴン村の崩落現場へ
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セントバーナード 着
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11:30
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レッドクロス(現地赤十字事務所)視察
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崩落現場 到着
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12:00
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崩落現場視察
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移 動
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13:00
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避難所(クリストレイ高校)へ
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4月5日
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移 動
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(15分)
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避難所視察
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移 動
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13:30
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崩落現場再視察
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移 動
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13:50
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セントバーナード町役場視察
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セントバーナード 発
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14:00
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レンタカーでオルモック港へ
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オルモック港 発
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高速船
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18:30
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高速船スーパーキャットでセブ港へ
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セブ港 着
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車両
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20:30
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車両でホテル周辺へ
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19:30
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ホテル周辺で食事後自由行動
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ウォーターフロントセブシティーホテル【泊】
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3
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セブ国際空港 発
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PR854
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11:45
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※空路にて、関西空港へ
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マニラ国際空港 着
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13:00
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4月6日
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マニラ国際空港 発
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PR408
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14:40
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関西空港 着
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19:20
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関西空港到着
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現地解散
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【現地地図】
 
【現地状況】
ギンサウゴン村(崩落現場視察)
南レイテ州セントバーナード町ギンサウゴン村(フィリピンでは村の事を集落「バランガイ」と呼ぶ)
フィリピン首都マニラより国内線でレイテ島タクロバンまで1時間10分。タクロバンから崩落現場のセントバーナード町まで車で6時間のルートと、マニラより国内線でセブ島まで1時間。セブ港よりレイテ島北部オルモックまで高速船スーパーキャットで2時間。オムロックよりセントバーナードまで車で4時間00分の2ルートが代表的なルートになる。
崩落現場のギンサウゴン村は現在も手付かずの状態で大量の土砂に埋もれている。その大量な土砂の間をぬうように小川が形成され、勢いよく流れている。
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| 崩落現場全景 |
崩落現場全景拡大 |
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| 崩落した土砂の間を小川が形成されている |
小川の流れは速く現在も大量の水が流れている |
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| 正面奥の山のふもとに植林されているヤシの木 |
このあたりで地下に水が浸透されている |
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| なぎ倒されたヤシの木 |
土砂が2kmに及び流出 |
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| 災害前は農地だった箇所 |
溜まった水で分断された道(正面崩落箇所) |
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| 崩落現場の小学校跡地に立つ十字架 |
新たな生命・・・ |
ギンサウゴン村の崩落現場視察まとめ
| □ |
全長2kmに及ぶ範囲に土砂が流出し、その土砂の下に水脈が流れており地盤沈下の恐れあり |
| □ |
崩落現場は今後プロジェクトにより慰霊碑が建立される予定だが財源等の確保は未定 |
| □ |
危険地域に指定された村は7村ありその内ギンサウゴンを含む3村の移転地が確保されている |
| □ |
移転する場所(カットン村)に300棟のハウス(2世帯で1棟)が建設されるがインフラ整備は未定 |
クリストレイ高校(避難所)視察
クリストレイ高校にはギンサウゴン村から293世帯が避難し生活している。村の人口は崩落前には1800人以上もいたが、生存者は652名のみとなった。その中には両親とも亡くした子供は77人(18歳未満37人)で片親を亡くした子供は147人(18歳未満92人)にのぼる。そのうち48名はフィリピンNGOのHope World Wide(事務所はマニラ)がカトリック教会の支援を受け、隣のサンホアン村の海沿いのキャンプ場を利用して共同生活を送っている。現在クリストレイ高校(避難所)の運営はカトリック教会のシスターが行い必要な物資・医療品の供給はMDCC(国家災害調整委員会)・レッドクロス(赤十字)等のNGOが調整しているが、将来の里親や奨学金など重点課題は山積みしている。
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| クリストレイ高校正面 |
ここで1部屋15人前後で共同生活 |
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| レッドクロス(赤十字現地オフィス) |
医療品等救援物資 |
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| 支援物資(大量の衣料品?) |
漠然とした不安を隠しきれない老人 |
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| この笑顔をいつも・・・!! |
サッカーボールをうれしそうに持つ子供たち!! |
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| 後方に見えるテントはJICAから |
マガタス村の子供たち |
クリストレイ高校(避難所)視察まとめ
| □ |
医療品・食料品・衣料品は飽和状態にある |
| □ |
クリストレイ高校(避難所)は4月末までの運営で、その後移転地へ順次移動する |
| □ |
被災者は現在移転後の生計について不安を抱えている。(家の貸与は決定しているが農地等の貸与は決定してないため) |
| □ |
親を亡くした子供にたいしての心のケアーが必要とされている(出来れば専門のカウンセラー) |
| □ |
シスターに今現在何を求めるかと聞くと、色々なことに使えるお金がほしいとのこと |
【総括】
| □ |
緊急支援の必要性は減少し、自立支援への移行段階にある |
| □ |
現在多人数での共同生活をしており出来るだけ早く世帯別での生活をのぞんでいる |
| □ |
被災者の生計をたてていくプロジェクトが急務である |
| □ |
災害孤児の養子先の確保(引取りの先のない子供たち) |
| □ |
災害孤児に対する奨学金制度確立の必要性がある |
| □ |
人的支援・物的支援はギンサウゴン村に集中している状況で他村への支援があまりない |
| □ |
キリスト教徒が90%でカトリック教会・NCCPが支援している |
【レイテ島地すべり支援の方向性】
| □ |
物的支援 |
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| ◇ |
慰霊碑建立における協力 |
| ◇ |
移転地に心のケアー中心とするケアーハウスの建設 |
| ◇ |
移転地におけるインフラ整備の協力 |
| ◇ |
ケアー専門医常駐に対する支援 |
| ◇ |
カトリック教会・NCCPの策定する支援プログラムへの協力 |
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| □ |
人的支援 |
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| ◇ |
交流プログラム(スポーツ等)による災害孤児との交流 |
| ◇ |
ワークキャンプ方式による体験学習の導入 |
| ◇ |
被災者の自立支援 |
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| ※ |
今後レイテにおける支援計画に対して義捐金募金活動も進めながら現地各種団体の復興プロジェクトとの整合性を保ちながら進めていく必要がある。又当初懸念されていた安全面について現在復興に様々な人が活動をしており、その活動をさまたげる行為等の話等は聞かない。 |
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